何者でもない自由

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櫛野展のアウトサイド・ジャパン展

 

 「自由だ、何でもできる。何にでもなれる」誰かが言う。口を揃えて言う。

何かをしなくては、何かにならなくては。だって自由だから。自由なのにどうして何もできないの?何にもなれないの?そんな強迫と焦燥があった。見栄を張った。斜に構えた。分かっているふりをした。そうやっていれば何かになれるとほとんど祈るように、後ろめたさに目をそらして必死に。

 アートの端っこを学んで、その端っこで一瞬働いた。そこでわたしが知ったのは、わたしは何にもなれないということだった。自分に心底失望しリングを降りた時にはもう、どうしてアートを学んだのか、仕事にまでしようと思ったのか、何になりたかったのか、思い出せなかった。

 SNSで見るかつての級友達は眩しい。リングを降りることなく、懸命に戦い、輝いている。皆何かになっている。眩しくて眩しくて目が潰れた。

 

 集められた数多の作品は、「高名な芸術家」の作品ではない。

 それらは救済であったり、生きる術であったり、愛のメッセージであったり、怒りであったり、哀しみであったり、リビドーであったり、言葉の代わりであったり、記録であった。仮面であったり、真実の顔であったり、生活であり、幻想であった。

誰かに見せ付けよう、認めてもらおうと着飾るものでは、計算されたものでは到底太刀打ちできないものがあった。

 あそこにあったもの、あの展示そのものがわたしの憧れていたアートそのものだった。

 何をしたっていい、誰がやったっていい、何もなくていい、何者でもなくていい、誰にも見せなくていい、認められなくていい、有名でなくていい。

 わたしが憧れたアートは、生きにくさを感じた人が少し楽に呼吸をすることができたり、ここならば大丈夫と思えるシェルターだった。背中をさする手のひらだった。伝えるためのサインだった。もうひとりのわたしだった。誰かを傷つけたり、何かを誇示したり、そういうものではなく、広くてどこまでも大きな、誰のものでもない草原、砂漠、海。

 公の目に触れることなく大切に胸に抱いて朽ちていくはずだったもの、愛する人のためだけに作った箱庭、それの全てが誇りとは限らない。羞恥を感じる人もいたかもしれない。それでも作品を覗かせてくれた、触れさせてくれた人がいる。愛おしさが溢れてたまらなかった。人間は歪で美しいと思った。

 

わたしはこの先も何にもなれないだろう。けれど、わたしには何にもならないという自由もある。ちゃんとある。そう少しだけ思えたことが、とても嬉しかった。